Ultima Savage Empire マニュアル

VALLEY OF THE THUNDER LIZARDS
『雷竜の谷 第一章:奇妙な出発 アバタール著』


咆哮が森の静寂をつんざいた。……それは粉砕機の爪に握り潰される金属が発するような甲高い叫び声だ。驚いた鳥が一斉に飛び上がり、私は目を覚ました。
だが、この森は何だ。ねじ曲がった椰子のような巨大な木々が密生し、太陽の光を締め出している。そして、森の底にようやくたどり着いたわずかな光をむさぼ るように歯を広げた巨大なシダ類。飛び去る鳥も不格好だ。翼はずんぐりと短く、尾は異様に太く長い。歯の生えたクチバシ、爬虫類のような冷たい目。
それよりも、なぜ私はここにいるのだろうか。こんな奇妙な土地へ自ら出かけてきた記憶はまったくない。
私は即座に体を起こし、自分の置かれた状況を検討した。
私はなぜか、この場に合った服装をしていた。丈夫な乗馬ズボン、ごついサファリシャツ、それに、過酷なフィールドワークにも耐えられそうなロングブーツ。ベルトには昔から愛用し、頼りにしている大型のボウイナイフが鞘に入って下がっていた。そして私は……私は……。
体が凍りついた。私は自分が誰なのかすら分からなくなっていたのだ。私の名前も、ここへ来た理由も、完全に抜け落ちている。私の記憶は深い真空の空洞に吸い込まれてしまったようだ。
またあの咆哮が遠くから響いてきた。私は我に返り、声のする方向へ歩き始めた。何かが起こっているその場所へ行けば、私の中から追い出された記憶をたぐる鍵が見つかるかもしれない。
夢かもしれないと、私は頬をつねった。期待に反して痛みを感じた。周囲に意識を集中したが、私が知覚する物事はあまりにも詳細で、夢とは思えないほどだ。 頭上をおおっている緑の屋根を貫いて数百本の銀色の光線が降り注いでいる。のしかかるような重い湿気を含んだ空気、ジャングルの生命感に溢れた種種雑多な 臭い。これが夢だとしたら、危険なほどに現実的だ。
歩いていくうちにジャングルの中の小さな空き地に出た。頭の上には、木の枝やシダの葉が長いひさしを作って太陽を遮っていたが、一ヶ所だけ、目映いばかり の黄金の陽光が空き地の中央を照らしていた。私はさらに歩を進め、身の安全を確保しながら、あの恐ろしい叫び声の原因を見極めようと体の位置を動かした。
空き地の緑まで来たとき、私は動くものを確認した。スピアを構えて空き地の上に優雅に動く柔らかいシルエット。それが光の筋をかすめたとき、私は照らし出された姿を見た。
若い女性だ。
彼女はこの土地の人間だ。私のようなよそ者ではない。彼女の小さな衣装は、斑点のある豹の毛皮の切れ端のようだ。手にしているスピアの穂先は石器だ。その淡褐色の肌はアメリカ原住民を思わせる。そして彼女の顔だちは…。
彼女は決してモデルクラブが理想とするような整った生意気そうな顔立ちではないが、なかなかどうして、美しい。茶色の目は鋭く、知性と集中力にみなぎって いる。わずかに開いた唇には何の感情も表れていないが、男心を惹きつける愛らしい微笑みを浮かべるようにできている。振り乱された豊かな黒髪は自然のまま で、手入れを拒んでいるように見えるが、1000人の美容師が束になっても、このスタイルを真似ることはできないだろう。彼女の動きにはバランスと自信が 感じられる。まるで人間の女に生まれ変わったジャングルの猫族だ。
私は音を立ててしまったようだ。彼女は警戒してこちらを振り向いた。光の筋が彼女に当たった。彼女は私に顔を向けている。私には気付いていないようだが、死線はこちらにじっと固定したままだ。豹に睨まれた小動物のように、私の体は硬直した。
またあの金属的な叫び声が響いた。ちょうど空き地の向こう側から聞こえてくる。彼女は咄嗟に振り返った。そして彼女と私は同時に、その声の主を目撃したのだ。
地響きを立てて暗がりから躍り出たそのシルエットは、2階建ての家ほどもあっただろうか。巨大な爬虫類だ。太い2本の足で歩いてくる。体全体が影におおわれていたが、2列に並んだ鋸のような牙だけが、木漏れ陽を反射して輝いていた。
それは、血に飢えた急行列車のように彼女に突進していく。考える間もなく、私も彼女に向かって突進した。だが、何のために…?歩く人喰いマシンから彼女を 救って逃げるためか?それとも、あの爬虫類を倒して粉々に切り刻むためか、この貧弱なナイフ1本で…?そのときは何もわからなかった。何も考えなかった。 行動があっただけだ。
ところがその瞬間、私が立っている場所を残して、周囲の光が消えた。音も、湿気も…まるで誰かが電気を消して一瞬にしてセットを壊してしまったようだ。私は立ち止まった。周囲を警戒し、すでにアドレナリンが全身に回っていたが、なんとか落ち着こうと試みた。
「この土地は存在する」
背後から声がした。ナイフの柄を掴み振り返ったが、声の主には敵意は感じられなかった。
「女は実在する」
それは気品ある銀髪の中年の男性だった。顎髭と口髭は清潔に手入れされ、目に知性を湛えていた。そしてカラフルなローブをまとい、頭には素朴なデザインの黄金の冠を戴いていた。
「あの生き物も実在する。しかし、さほど危険な種類ではない」
知っている人だ…。彼の記憶が私の心の表面に浮かび上がってきた。私は彼を信用することにした。返事をしようと思ったが、声が出なかった。
「友よ、破壊されたムーンストーンについて調べてほしい。お前のムーンストーンではその場所へ行くことはできないが、そこに行けば必ずある」
そして光が消えた。私は目を開けた。身を起こしたのは自分の家の自分のベッドの上だった。私の名前も記憶もすべて戻っていた。


すべては夢だった。しかし、記憶を思い起こしてみると、それは現実でもあった。ここ数日間、私は細かいところまで寸分違わない同じ夢を続けて見ていたのだ。ただし、今回に限って"彼"が登場した。
夢の終わりで私に話しかけてきたのは、ロード・ブリティッシュだった。
ロード・ブリティッシュ…今、彼について説明する余裕はない。崇高な知恵と精神力の持ち主で、神秘の世界の最高実力者であるとだけ言っておこう。彼は本当 に運のよいごく一握りの現代人だけが訪れることのできる、すばらしい世界を治めている。私は幾度となく彼に協力を求められてきた。そしてその都度、彼に力 を貸している。
今回もひと肌脱ぐことになるのだろう。彼の要求もはっきりしている。
「破壊されたムーンストーンについて調べてほしい」と。私もムーンストーンは持っていた。ロード・ブリティッシュが治める国から持ち帰ったのだ。メノウの ような磨き込まれた黒い丸い石だが、そこには驚くべき力が秘められている。だが、これが破壊されるとはどういうことなのか、まるで見当がつかなかった…少 なくともその時点では。
誰に聞けばわかるのだろう。私には、長年かけて知り合った博学な友人が大勢いたが、白羽の矢は迷わずラフキン教授に立った。
エリオット・ラフキンは、膨大な技能と好奇心を持つ反面、まったく時間を持たない人間だ。彼は長年、科学や研究と名の付くありとあらゆる物事を、できるかぎりたくさん学んできた。だから、私が知りたいことを知らなかったとしても、それを知っている人を知っているはずだ。
私は急いで服を着た。皮肉にも私はそれとわかりつつ、夢で着ていたのと同じ服を選んでいた。愛用のボウイナイフを鞘に滑り込ませた。さてこれから、私は夢の源を辿ることになる。自分の夢の中に入っていくような気分だ。


私がラフキン教授に初めて会ったとき、彼は学校の教師をしていた。現在はこの町の自然史博物館の館長を務めている。それは彼にとってまさに適任の職業といえるが、彼の採用は残念ながらその科学知識の深さを買われてのことではなかった。
ラフキンは人間関係において特殊な才能を発揮するのだ。彼の科学に対する熱狂的なまでの好奇心には伝染性があり、誰かれ構わずそこへ無理矢理引きずり込ん でしまう。トルコ沖で起きた船の座標の話であるとか、ギリシャとアステカの神話の回帰性であるとか、月の石の分光器分析の話など、一般の人間がおよそ関心 を示さない話題を持ち出して、30分以上も事業家に講義を行い、揚句に博物館の寄付金として多額の小切手をせしめ取って、さっさと立ち去るのである。決し て相手を騙しているわけではない。最初から金を巻き上げようなどとは微塵も思っていないのだ。しかし、結果はいつもこうなってしまう。
博物館は、かれのために建物の裏に研究所を設立した。展示物の整理やディスプレイはラフキンの助手たちが行っていた。館の役員たちは、重要人物との会食や 大学での講演などにラフキンを連れ出したが、それ以外の時間は自由だった。ほとんどの場合、彼は研究室をうろうろしていた。
博物館に到着した私は、正面玄関を避けてラフキン専用の何も書かれていないドアに向かった。ドアの脇の呼び鈴のボタンを押すと、それに答えるように自動ロックを外すピーッという音が聞こえた。私は中に入った。
さて、みなさんもお察しのことと思うが、ラフキンの研究室は人と車でごったがえす繁華街そのものの様子を呈している。部屋の中、机の上、何がどこにあるか を知るすべはない。私はよくこの部屋に入り、発掘された古代遺跡の模型や、木枠に梱包されたままの実験器具や、本と学術論文の山や、スパークを発する意味 不明の装置や、ガラス瓶の中に保持されている臓器(古い友人を訪ねている間中この保存瓶の中身に見つめられているかと思うと、いつも背筋が寒くなる)を目 にする。今日もその様子はいつもとまったく変わらない。
だがラフキンは不在だった。そのかわりに、部屋の片隅のクッションの利いた椅子に骨ばった若者がひとり座っていた。ツーピースの背広を着込んでいるが、ベルトの位置が妙に高く、上着の衿幅がやけに広い。1930年代の懐古趣味的芝居から抜け出したようなスタイルだ。
彼は私が部屋に入るなり、有り余るエネルギーをバネに飛び上がった。「どうも」と言って彼は手を差し出した。私はその手を握って握手した。「ジミー・マローンです。ラフキン教授に会いにこられたんでしょ」
「ああ、そうだけど…」
「すぐに戻ってきますよ。ミイラに"魅入ら"れちゃってんですよ。アーッハッハッ。笑いすぎて死にそうだ。ところで、あんたダレ?」
「私は…」
彼は急に何かを思い出したように、私の顔を見つめて言った。「あっ、知ってますよ。あなたに関する資料は山ほどあるんですから。何日間も級に姿を消したか と思うと、いつも真黒に日焼けしてフラッと戻ってくる。近所の人は、みんなあなたのことを不気味に思ってるって、ご存知でした?何か一言お願いします」彼 は上着のポケットを探ってボロボロのメモ帳を取り出した。
私はしばらく目を閉じ、深呼吸をした。「なーんだ、取材か。ラフキン教授に会いにきて、記者に捕まるとはな」
彼はニヤリと笑った。「今日みたいなネタのない日は、ラフキン教授に面白い話を聞きにくるんです。あ、そうだ。じゃあ正式の格好をしますよ」彼は近くの机 から帽子を取り、その内側から小さなカードを取り出して帽子のリボンに刺し、かぶって見せた。カードには大きく<"PRESS"(報道関係者)>と書かれ ている。
「ちょっと時代遅れじゃないか」
彼はさらにニヤニヤ笑いを浮かべた。「世の中には伝統を重んじない人もいらっしゃる」
そのとき、乾いた冷笑的な別の声が飛び込んできた。
「ジミー、私の友人は伝統を大切にする人だ。ただし、キミのその歪曲したステレオタイプの偏重壁には同調しないだろうな」
振り返ると、展示室に通じるドアのところに、ラフキン教授が現れた。彼の言葉に私は思わず頬を緩ませた。彼のワイヤーフレーム式の眼鏡と三角形の頬髭には 私にもひとつのステレオタイプを呼び起こさせた。本や映画でよく見かけるビクトリア朝時代のマッド・サイエンティストだ。だが幸い教授はマローンと違って 現代的な服装を好んでいる。
ラフキンは私に顔を向けた。「ところで、何の用だね?」
私は彼になぞめいた笑いを投げかけた。「なぞなぞですよ。6メートルほどの身長で、ジャングルを歩き、若い女を食べる爬虫類は?」
「トンチかね、真面目かね?」
「真面目です」
彼はしばらく考え込んでしまった。
「重量のある感じかね、それとも、大きさの割りに細い感じかね?」
「重量感があります」
彼は眉間にしわを寄せた。「君の話に適合する生物はハリウッドの外にはおらんな。条件から女性を取り除けば、恐らくそれはティラノサウルス・レックス、白 亜紀の肉食恐竜だ。低俗な映画では、恐竜が暴れまわって原始人を捕まえるなんてシーンもある。その中に女性も含まれることもあるだろうが、実際には 6500万年ほど待たなければ恐竜は人間を捕まえることはできんのだ」ラフキンは諭すような目で私を見た。「ご承知のこととは思うが」
「ちょっと、折り入って話があるんだがな…」
ラフキンはマローンに目を向けた。マローンは目をぐるりと回して天井を睨んだ。「すまんが」ラフキンは言った。「ちょっと友だちとふたりだけにしてくれん かね。ほんの2〜3分の間、席を外して私のミイラのコレクションでも見学してきてくれたら、後でいい話をしてあげよう。ある種のウイルスがいかにしてミイ ラの包帯の中で数千年にわたって休眠し、それが棺を開けた途端に活動を再開して、あの恐ろしい"ミイラの呪い"伝説に貢献しているかについてだ」
マローンは私に冷たい視線を投げつけた。「どうしてもって言うんなら」
「どうしてもだ」ラフキンはやさしく答えた。
マローンが去ると、私はラフキンにすべてを話した。夢のこと、女のこと、恐竜のこと、ロード・ブリティッシュのこと、ムーンストーンのこと。ただし、ロー ド・ブリティッシュについては、すべての真実を話さなかった。遥かなるブリティッシュの王国へ行くあの脅威の手段だけは伏せておきたかったのだ。だが、そ れ以外のことは、微に入り細に入り説明した。そして話の終わりに、私は彼にムーンストーンを見せた。
ラフキンは私の話にじっと耳を傾けてくれた。その表情は瞑想的にも見えた。彼は私の手からムーンストーンを受け取ると、その光沢のある表面を調べ、手の平で重さを計ったりした。
しばらくして、彼は口を開いた。「正直言って、キミは頭を強く打ったんじゃないかと心配していたんだが、このムーンストーンとやらのことで、思いがけない 偶然があるんだ。今、見せてやろう」そう言って私の手にムーンストーンを返すと、彼は研究室に並ぶ棚の中のひとつに向かった。
ボール紙の箱を抱えて教授は戻ってきた。箱の中にはくしゃくしゃになった新聞紙が詰め込まれている。新聞の文字はドイツ語だった。ラフキンは箱に手を突っ 込み、かき回した。「これが送られてきたんだよ」彼は手を止めずに言った。「スペクターというドイツの人類学者のもとで最近まで働いていた私の教え子から なんだが」
彼は箱から黒い石を取り出し、私に差し出した。
それはいろいろな意味で私のムーンストーンに似ていた。大きさも重さも同じだ。しかし、見た目はまるで違う。
私の石は磨かれて表面がツルツルしているのに対して、彼の石はひび割れゴツゴツしている。かつては私のと同じだったものが、あるとき大変な高温にさらされ たような、そんな感じだ。私の石は磨かれた黒メノウに似ている。かたや、彼の石は黒焦げの黒曜石だ。何ヶ所かの平らな部分には光沢があるが、その他の部分 には艶がない。これは単に磨かれていないというのではなく、何らかの理由で変質したのではないかと、私には思えた。
ラフキンは言った。「私の教え子によれば、スペクターは中央アメリカの発掘現場でこれをいくつか拾ったそうだ。ある晩、別の助手とこの石の調査を行ったの だが、次の朝、私の教え子が出勤したときには、ふたりとも消えていたそうだ。部屋の家具もろともきれいにな。まさにミステリーだよ。私の教え子も石をひと つ持っていたので、謎を解く手掛かりがみつからないものかと、私のもとへ送ってよこしたというわけだ。だが、忙しくてこいつの調査ができなかったんだ…今 まではな」
「ぜひ、私からもお願いします。何かが解決されない限り、私はずっとあの夢を見続けるような気がしてならないんです。私の夢は私にムーンストーンのことを伝えた。さらにムーンストーンは、私を先生のところへ導いた…」
彼は微笑んだ。「はたして、その信念を実証することができるかどうか。ではちょっと、石をいじくり回してみるかね。キミは自由にしてなさい」
ラフキン教授の「自由にしてなさい」とは、「調べものをする間、私はキミの存在を無視するよ」という意味なのだ。そこで私は自分のムーンストーンをポケットにしまい、教授のお気に入りの安楽椅子に深々と腰を下ろした。
……数分後、ジミー・マローンが戻ってきた。
「じゃあ、あなたの失踪の話を聞かせてもらいましょうか。どういうワケなんです?あなた、CIAですか?アメリカが援護しているどっかの国の反政府組織の人とか」
「なあ、ジミー。キミは何でも好きなように書いて印刷すればいい。あとは法廷で会おう。そうすれば、弁護士同士でうまく片付けてくれる。そして私は眠れるってわけだ」
餌を見つけて狂喜乱舞するサメのように、ジミーの目が光った。「ほう、こいつは面白い。あなた、ボクのジャーナリストの血を沸き上がらせてくれましたね。では…」
ラフキンがジミーの言葉を遮った。「こりゃいったい…」
私は立ち上がって教授の方を見た。マローンは持ち前の"ジャーナリストの血"の衝動に動かされて、咄嗟に上着からポケットカメラを取り出し、フィルムが巻かれていることを確認した。
ラフキンは電線や電極が取り付けられたムーンストーンを置いたテーブルからあとずさった。すべてが眩しい透明なエネルギーの光に包まれていた。
「どうしたんです?」私は尋ねた。
ラフキンは頭を振り、当惑してテーブルの上を見つめた。「私は素材の温度と電導率を調べていたのだが、初回の測定値はでたらめだったんだよ。石にある量の 電気エネルギーを注入すると、それ以上のエネルギーを放出する…。いや、そう計器には表れた。そのとき、あの光が発生したんだよ」
彼が話している間も、テーブルの上の光は風船が膨らむように膨張し、実験器具を包み込んでいった。
私が止める間もなく、ラフキンはためらいがちに光に手を伸ばして、それに触れた。音がした。弾けるような、焦げるような。世界最大の水滴が世界最大のフライパンの上で跳ね回ったような、そんな音だった。ラフキンは跳ね飛ばされ、数メートル後方の床に叩きつけられた。
私はすぐに彼の脇に駆けつけた。そして、彼と、まだ膨張を続ける光との間に自分の体を置いた。彼の目は閉じられ、息は浅かった。「先生」 私は彼の体を揺 さぶった。光の位置を確かめようと肩越しに後を振り返ると、それはまだ3メートルほど離れてはいたが、輝きは衰えていなかった。
突然、部屋の明かりが消えた。同時に光の球も消えてしまった。闇の中で目の焦点が合っていくにつれ、マローンが壁に取り付けられた金属の箱の脇に立ってい ることに気が付いた。ブレーカーだ。彼は種断言を切ったのだ。これによって、それまで振れていたこの男に対する評価の針は、数目盛上を指すようになった。 博物館の役員たちが展示室に通じるドアの向こうでブーブーわめいているのが聞こえた。
「よくやった、マローン」私は素早く次の行動に移った。「急いで救急箱を取ってくれ。本棚のどこかにあるはずだ」私はラフキンの手首を握り脈を診た。どれだけ強いダメージを受けたかを確かめようとしたのだ。
マローンは本棚に走り、その価値も考えず棚の上の物を乱暴に掻き分けた。これを見たらラフキンは激怒するに違いない。事実、自分の所有物に危害が加えられている音を聞きつけて、ラフキンはパッと目を開いた。
「触るんじゃない!それはとてもデリケートな装置なんだ!」ラフキンがこんな大声を出したのを利いたことがなかった。しかも、あれだけ強いショックを受け た直後にこんな元気になるとは思ってもみなかった。初老の科学者は、がばと身を起こし私を脇へ押し退けて雑誌記者を怒鳴りつけようと立ち上がった。「この 研究に興味があるからといって、私の測定器具を勝手に触っていいとは誰も言ってはおらんぞ。キミは…」
私は割って入った。「私が救急箱を探すように言ったんです。先生が気を失っていたんです。そこでマローンが先生の実験器具の電源を切ってくれたんです」
ラフキンの顔は困惑の表情を浮かべた。「なに、それならなぜ、まだアレが光っているのかね」
私はそちらに目をやった。彼の言う通りだった。石の周りに再び光が現れた。ぼんやりとした光が次第に強さを増していく。
マローンが本棚から離れた。「そんなバカな。電源を切ったんだぜ」
「マローン、先生」私は言った。「ここから出るんだ。悪い予感がする…」
マローンは馬鹿ではない。私が言い終わるよりも早く逃げ出した。だが、彼がドアまであと数歩というときに、床が揺れだした。細かく波打つような振動に、マローンもラフキンも床に投げ出された。私も辛うじて立っていられる程度だった。
テーブルの上の光は強烈に輝き始めた。今回は大きく膨らまなかったが、その代わりに別のものが現れた…。綿シニアh親しみのある物体だ。しかし、どこか異質だ。
それは部屋の中央の空間に現れた。普通のドアの半分ほどの大きさの薄気味悪い黒い長方形だ。何に支えられることなく、自分で浮かんでいる。ラフキンは目を皿のように見開いた。最も安全な場所にいたマローンは、再びカメラのシャッターを切った。
「これはいったい…」ラフキンは大きく息をついた。
「ムーンゲートです」私はやや疑いを残して答えた。「つまり…穴です。時間と空間の穴です。ロード・ブリティッシュの話をしましたよね。彼の国へ行くときに、これを通っていくんですが…、こんなのは初めてだ。いつもは青いんですよ。吸い込まれそうな青なんです…」
こんな"動き"をするムーンゲートも初めてだ。現れた場所に止まり、また消えるというのではなく、これはどんどん大きくなっていく。全方向に膨張しているのだ。私たちが何か手を打つ前に、私たちを飲み込もうと成長していく。
ラフキンは反対方向に逃げようとしたが、黒い影が彼を捕まえた。マローンはドアに手をかけたが、影が彼の体を包み込んでしまった。私は外へ通じるドアに向かって跳躍したが、宙を飛んでいる間に漆黒に飲まれてしまった。


吐き気をもよおすような強烈な落下感覚に襲われた。パラシュートの代わりに目隠しをして飛行機のドアから転げ落ちたような感じだ。私は身をよじり、四方八 方に手足を突き出してもがいてみたが、虚しく宙を掻くだけだった。しばらくの間、私はあの異形のムーンゲートの中の音のない暗闇に閉じ込められていた。
私は肩から研究室の床に落ちた。突然の衝撃で私の目はくらんだ。ラフキンの喘ぐ声が聞こえた。そして、マローンの「冗談じゃない、今度は何だってんだ」という大声。
それに続いて、他の物音も聞こえてきた。遠くで鳥の鳴く声、そよ風に揺らぐ木々の音、虫の声、彼方で聞こえる狼の遠吠えのような声…。
視力が戻り、自分がどこにいるのかを、やっと知ることができるようになった。
私は研究室の床に倒れている。場所は想像した通りの地点だ。私は外に面した壁から数十センチの地点に落ちたはずなのだが、研究室の床は柔らかいジャングルの地面に繋がっている。壁がない。最初から存在していなかったかのように、跡形もなくなっている。
周囲を見回すと、部屋のすべての面が同じ状況になっていた。すべての壁と天井が消え、ジャングルが広がっている。頭上には緑の木々がおおいかぶさっている。エアコンで冷やされていたラフキンの研究室の空気の中に、蒸し暑い空気がなだれ込んできた。
それ以外の点では、研究室は無傷だった。テーブル類も本棚も椅子も簡易ベッドもそのままの場所にある。ひび割れたムーンストーンもラフキンの測定器具につながれたままだ。しかし、もう冷たく黒くなっている。黒いムーンゲートはと言えば、もう影も形もない。
ラフキンは驚いた表情であたりを見回し、私に目を向けた。「ふむ」
「は?」
「まさか…、キミが夢で見た場所じゃなかろうな?」
私はうなずいた。「とてもよく似ています。木々もシダ類も、全て同じです」
マローンががばと立ち上がり、反射的にカメラのシャッターを押しまくった。彼の様子から、電気ショックを受けたのはラフキンではなくマローンだったかのような印象を受ける。彼の口は正常だったが、どうにも言葉が出てこないのだ。
ラフキンは自分が置かれた状況を慎重に観察しながら言った。「混乱していては何も始まらない。これが妄想だという可能性もあるが、完全な現実だと想定して 対処すべきだと思う。もし、これが完全に現実だとして、キミが夢で見た物象と同一のものがここにあるなら、恐らく…その他のものも存在する」
「論理的ですね」私は彼の分析を嬉しく思い答えた。
「もし実際にいたとしても…つまり、キミの夢に出てきた肉食恐竜のようなものがだ。この研究室にはライフルがある。実はこの前、個人コレクションの一部を 博物館が譲り受けたものなんだが、分類に困っていたところなんだ。出しておいたほうがよさそうだな」彼は本棚のひとつに歩きかけたが、途中で気が変わり、 私たちに向き直った。「だが必ずしもそれは…」
遠くから響いてきた叫び声に彼の言葉は遮られた。恐怖の悲鳴ではない。怒りの怒号でもない。人間の声ですらない。動物の声だ。私が夢で聞いた咆哮よりも、ずっと鋭く突き刺すような響きだ。むしろ猛禽類の鳴声に近い。
ラフキンと私は素早く首を回し、声のする方向を見つめた。当惑しどおしだったマローンも、そちらに目を向けた。そのとき、もう一度声がした。またしても甲高く、短く、攻撃的な声だ。しかし、今度はまさしく人間の声だった。若い女が発するような声だ。
無意識のうちに、私は声のする方向に走っていた。ラフキンの制止も耳に入らなかった。「待ちたまえ、私がなんとか…何ということだ、まったく」ラフキンが私を追って走ってくるのがわかった。さらにその後を追ってジミー・マローンが慌てて付いてくるのが聞こえた。
地面は柔らかく深い下生えにおおわれていたが、私は以外にも全速力でジャングルを走りぬけることができた。また声がした。動物の鳴き声に人間の叫び。それは戦う敵同士の雄叫びだと、私は確信した。
私は間違っていなかった。うっとうしいジャングルの緑の屋根を過ぎて、太陽の光の中に出た。目がくらみ、立ち止まって視力の回復を待った。そして、ついに私は、声の主を目にしたのだ。
そこはジャングルの中に口を開けた広い空き地だった。岩盤が露出しているため、植物は根を張ることができないのだ。その中央の空中に、何かが、恐竜時代の 生物だとおぼろげに記憶している何かが浮かんでいた。教科書の挿絵にあった翼竜プテロダクティルスだ。頭の骨に頂飾とクチバシに長い滑空用の翼のある空を 飛ぶ爬虫類…だが、コイツはやけに大きい。
翼長を即座に目測することはできなかった。空中の一点に止まろうと激しく羽ばたいていたため、正確に測ることは不可能だ。翼の端から端までの長さは、ざっ と見積もっても30メートル以上はあったように思う。体色は茶色がかった緑。ある種の象に似ている。近くでよく見なければ、灰色だと思い込んでしまいそう な色だ。
それがなぜ、あの一点に止まっているのだろうか。再び前進を始めたとき、ラフキンとマローンが現れて、それまで私が立っていた場所に釘付けになった。私はようやくその生き物の攻撃目標を見ることができた。
女だ。しかも普通の女ではない。動物の毛皮を身につけた、私の夢に出てきたあの女だ。"夢の中の女"…、この状況に及んでなお、その言葉が私の心の中に響いてきた。私の思考は、淡い矛盾の色に染まった。
彼女はスピアの名手であるかのようにスピアを持っていた。そして実際、彼女は名手だった。彼女は叫び声をあげた。しかしそれは悲鳴ではない。戦いの叫び、 ジャングルの"気合"だ。彼女は両手で握ったスピアで翼竜の腹に強烈な一撃を加えた。翼竜は腹を刺され、たまらなく高度を上げた。
そのとき、彼女は背後から勢いよく駆けてくる私に気付いて振り返った。そして、素早く体の向きを変え、新たな敵に対して身構えた。
私は彼女の顔を見た。それは、私の夢に取りついて離れないあの顔だった。彼女も私の顔を見た。すると彼女の攻撃的な表情が困惑の表情に変わった。そして、何かを認識したかのような光が彼女の目をよぎった。
彼女の一瞬の注意力の隙間をついて翼竜が舞い降りてきた。それは彼女を地面に押し倒し、鉤爪で彼女に掴みかかった。その拍子に彼女はスピアを離してしまった。
そのとき私は、ほとんど翼竜に届く距離まで来ていた。速く走りすぎたため、足が止まらない。翼竜は私に襲いかかってきた。鋭いクチバシが、私の胸のど真ん中を狙っている。
反射的に…この反射的行動こそ私が修行の末に会得した能力である。何回も私の命を救ってくれた力である…私は剣術の受身技である円を描く動作によってクチ バシの針路をかわした。その剛毛におおわれた皮膚で腕は切り裂かれたが、それでも私は走り続け、巨大な胴体に首がつばがっている部分に思い切り体当たりを かました。
大きな翼が振り上げられた。次の瞬間にはそれは強く打ち下ろされるはずだ。得物をつかんで飛び去ろうというのだろう。体当たりから間髪を入れず、私はその 首に腕を回して抱きついた。恐らく私の体重が加わることで、飛び上がることは阻止できるだろう。その間に、彼女が意識を取り戻して逃げてくれればよいのだ が。
そいつが首を後に回し、何かに噛みつこうとしたとき、私の腕は危うく外れそうになった。それが狙った相手は…ジミー・マローンだった。彼はすっかりショッ クから立ち直っていた。攻撃を受けて、安全な距離で立ち止まったが、すぐに翼竜の周りを円を描くように走り出した。翼竜はジミーの動きを追うことができな かった。私はその機会に、前よりもしっかりと首に抱きつくことができた。ジミーはそいつの頭をかわして背後に回り込み、その皮が剥き出しの大きな背中に勢 いよく飛びついた。「さあ、39番ジミー・マローンが塁に出ました!」彼は大声で叫んだ。しかし、彼の元気は声だけだった。彼の目は大きく見開かれ、恐怖 に怯えていた。
「放すなよ!」私は彼に向かって叫んだ。「こいつは飛び上がれない」
「わかった!」返事が返ってきた。だがジミーの声ではない。ラフキンだ。翼竜の腹の下から聞こえたようだが、私は自分の耳を疑い、翼竜の下を覗き込んだ。 そこには、うつぶせの女性を抱きかかえて、それを巨大な鉤爪から引き放そうとしている教授の姿が見えた。しかし結局、彼女は鉤爪にとられてしまった。なん とも、こいつの首にしがみ付くよりも、もっと危ないことをしてくれる。
翼竜はしばらく激しく体をよじったが、私たちの誰ひとり、振り落とすことはできなかった。だが、それによって私は傷を負い、ジミーは空中に放り出されそう になった。ついにそれは翼を打ち下ろし、体を浮き上がらせた。しかし、すぐにまた地面に落ちた。そのとき、翼竜の金切り声にも負けない教授の「うわっ!」 という苦痛の叫び声が聞こえた。再び翼が打ち下ろされた。今度は、3メートルばかり飛び上がり、続けて羽ばたくごとに、少しずつ高度を上げていった。
私は周囲を眺めることができなかった。ようやく目にすることができたのは、遠くまでうっそうと続くジャングルの姿だけだ。とうとう地面に押さえつけておく ことはできなかった。いったい、どこまで連れていかれるのだろうか。人間ほどもある大きな雛が大勢待ち受ける巣の中に落とされるという最悪の光景が頭をよ ぎる。巣に連れていかれるのだけは御免だ。どちらとも知らない未知の土地に降りるほうが、よっぽどマシだ。
羽ばたくごとに、私は激しく揺さぶられ、ジミーは放り出されそうになったが、ウェア足しは何としても背中によじ登り、片手を自由にしたかった。悪態をつき ながら、満身の力を込めて、私はそいつの首の裏側へ、1度、2度、3度と足を蹴り上げた。試みは3度目にしてようやく成功した。
だが突然、私は頭に衝撃を感じ、気を失いかけた。翼竜が上空を見上げたときに飾り骨が振り下ろされ、私の頭蓋骨を直撃したのだ。私はその場で翼竜にしがみ付いた。頭の中の痛みは間もなく消えてくれた。
私は運を天に任せて片腕に力を入れ、もう片方の手を体の後ろに伸ばし、ボウイナイフの柄を取った。それはまだ鞘の中に収まっていた。私はナイフを抜いた。 それと同時に大きな衝撃が加わった。危うくナイフを落としそうになったが、心臓も止まらんばかりの軽業で、なんとかナイフを握り直すことができた。
私は翼竜の首をめがけて死の一刀を浴びせようとナイフを振り上げた。しかし、冷静な思考が私の攻撃を制止した。一撃でこれを殺すことはできない。翼竜を墜 落させてはいけないからだ。安全に着地させなければならないのだ。そこで私は、翼が胴体につながっているあたりに見当をつけて、前を向いたままナイフを後 手に振り下ろした。殺すためではなく、ダメージを与えるためにだ。
3度目の攻撃で手応えを感じた。ナイフを引くと、刃に血が付いていた。翼竜は悲鳴をあげた。それまで、この翼竜の声は大きいと単純に思っていた。しかし、 首根っこに捕まって聞くその声は、私を吹き飛ばしかけ、体中のすべての骨を激しく振動させた。それでもこいつは飛び続けている。そして私は、繰り返し繰り 返し、その翼や肩に切りつけた。
私は時折、翼竜の腹の下を確かめた。最初のうちは、目を見開き必死の形相で翼竜の右足にしがみつくラフキン教授と、その鉤爪に掴まれた気を失った女の体が見えていた。
しばらくすると、女の目が開いていた。彼女が身につけた毛皮をまさぐっているところが見えた。鋭い石のナイフを取り出すところが見えた。そして、翼竜の腹に一撃を加えるところが見えた。
その直後、彼女は命を失いかけた。翼竜は鉤爪を開き、トゲのある獲物を手放したのだ。ところが驚いたことに、あのラフキンが、落ちていく女がノーベル賞にでも見えたのか、彼女の手首を目にも止まらぬ早業で捕まえた。
その生死を分けた光景を、私は途中で見失ってしまった。翼竜が急に右に傾き、高度を落としたからだ。私は危うく振り落とされそうになった。これは意図した行動に見えたが、高度は次第に下がっていった。この落下は傷が原因のようだ。
もう一度ラフキンを見ると、彼は再び両手で翼竜の足を掴み、短い足で女の胴を挟んでいた。彼女はと言えば、目を細めて片手で彼に抱きつき、もう片方の手で翼竜の鉤爪を掴んでいた。実に滑稽なポーズだったが、前よりは幾分安定した形になっている。
翼竜は、またあの骨に響く声で叫んだ。だが音量は低く、何かを恐れるような弱々しさが感じてとれた。着陸地点は決めたのだろうか。私には果てしなく広がる ジャングルのどこにも、それらしい場所は見つけられなかった。降りる場所を心得ているのかいないのか、それは着地の態勢に入った。
我々はジャングルの緑の屋根を引き裂くように飛び、木の枝や葉状体に鞭打たれた。その直後、大きな衝撃を感じた。細い枝にぶつかったようだ。
すると前方にジャングルの切れ間が見えた。さっきと似たような岩盤が露出した空き地だ。突然、広い空間に出た翼竜は、慌てて速度を落とそうと前方に向かって羽ばたいた。
速度が落ちた…。と同時に私の後方で悲鳴が聞こえた。ジミー・マローンだ。これまで振り落とされまいと必死にしがみついていた彼だったが、翼竜が急に速度 を弱めたことで、ついにエラーを犯してしまった。青い塊が、私の頭越しに前の方に飛んでいき、私の視界から消えてしまった。
そして、不気味な音とともに、翼竜の翼のどこか…恐らく私が傷を付けたあたり…が裂けたようだった。翼竜は断末魔の叫び声をあげた。前方への慣性を殺すことができず、それは頭から椰子のような木に突っ込んだ。
その衝撃で、私もついに放り出され、別の木の幹に体をぶつけ、地面に落ちた。そのときは30メートルも飛ばされたかと感じたが、実際には3メートルも飛んではいないはずだ。
それだけではない、背中から落下した私は息が止まってしまった。空気を吸おうとあえぎながら、痛みを殺して立ち上がろうと無駄な努力をするのが精一杯だった。
私が倒れた地点から、翼竜の死骸が数十メートルにわたってジャングルの地面をおおっているのが見えた。まだ少し痙攣が残っていたが、大きく動くことはもうないだろう、と思ったら、翼の私に一番近い部分が突然動きだし、不自然にめくれ上がった。
中から、褐色の肌の原住民女性が這って出てきた。彼女に続いて現れたのは、痛々しげに四つん這いになったラフキンだ。ふたりとも地獄から這い出てきたよう な姿をしていたが、とにかく生きていた。ふたりは死んだ翼竜を振り返った。そして私とジミーを探して、あたりを見回した。
私は、ジミーがまだ動けるのを見て驚いた。それどころか彼は走っている。彼は片足を引きずりながらも木々の間から飛び出してきた。服は鉤裂きだらけで、顔 にも擦り傷を負い、翼竜の血を全身に浴びていたが、殺されそうな勢いで走り出してきたのだ。彼は男たちに追いかけられていた。豹の毛皮の衣服を身につけ た、いかにもジャングルを知り尽くした風な褐色の肌の男たちだ。
女は私に近づき、恐る恐る私に手を伸べながらジミーの方を振り向いた。ひとつの短い単語が彼女の口から発せられた。すると原住民の男たちは即座に彼女の命 令に従い、その場で立ち止まった。ラフキン教授のところまで駆けてきたジミーはちらりと後を振り返り、もう男たちが追ってこないのを確認して立ち止まり、 大きく息をついた。
私の体に次第に呼吸が戻ってきた。私はやっとの思いで女の手を掴み、立ち上がることができた。空き地を取り巻くジャングルの壁から最後の1人が現れたのは、そのときだった。
彼は長身の白人で髪はブロンド、歳は若い。どことなく高貴でしなやかな鍛えられた体格をしている。他の連中とは違った服をまとっている。彼が着ているのは毛皮ではなく鞣皮だ。足も彼だけは素足に近い。
その顔は私に馴染みのある顔だった。遥か遠く、ロード・ブリティッシュが治めるブリタニアの原野を共に冒険した、見慣れた顔だ。
まだ息が不安定だったが、私は声を絞って彼の名前を呼んだ。「シャミノだろ?」
彼は驚いたような顔で私を見つめた。彼の目に反応があった。しかし、それはすぐに消えてしまった。彼は首を横に振り、否定した。だが、彼の顔には、自分で否定していることに疑問を持っているような、そんな表情が見てとれた。彼は自分の手で自分を指し示して言った。
「シャムルー。シャムルー」


キャンプの焚火は、我々を取り囲む夜の闇とは対象的に明るく、心が勇気付けられた。
私は火を囲んでジミーの脇に座った。彼はラフキンのシャツを裂いて作った包帯で体中を飾りたてられていた。ラフキンは、私の旧友と同じ顔をしたシャムルー と予期せぬ不幸に誘ってくれた女性アイエラの二人のそばに座り、片言での会話に熱中していた。そして私たちの周りには、恐らく30人ばかりのジャングルの 部族の男たちが囲み、アイエラが発する命令に従って行動していた。
焚火にあぶられて黒焦げになった肉をひと塊、むさぼるように食べたあと、私の気分は少し落ち着いた。言っておくが、これは私たちが倒したあの爬虫類、スー パープテラノドン…そうラフキンが命名した…の肉ではない。原住民は食べられない肉として捨ててしまうのだ。その代わり彼等は、草食動物をたくさん捕って きた。蹄のない獣以外は小型の馬と鹿の仲間のような動物が多かった。原住民が捕獲したある獲物のつがいを見たラフキンは、取り乱したようにその名前を口に した。「ハイラコセリウムだ」そしてまた、原住民との会話に戻った。
ジミーは彼が博物館に来てから起こった出来事を事細かに書き留めていた。彼にとって幸いなことは、彼のボロボロのメモ帳には、まだ十分に白紙ページが残っていることだった。だが、すべてのページが埋まるまでにここから脱出するのは難しいだろう、と私は予感した。
原住民たちはみな、私たちを名誉ある客として扱ってくれた。彼らは私たちがスーパープテラノドンを倒したやり方に驚き、私たちの服装と言葉に当惑し、アイエラを助けたことを感謝してくれた。彼女は明らかに重要人物だ。
ラフキンは彼らが話す言葉のいくつかを理解することができて、非常に気をよくしている。教授によれば、彼等の言葉は中央アメリカ原住民の言語の異形であるとのこと。彼は日が暮れる頃、他のみんなが野営と焚火の支度をしている間中、シャムルーとアイエラと座っていた。
話が終わり、ラフキンは私たちのところへやってきた。彼は神経質そうに眼鏡を外し、不潔一歩手前のシャツの裾でレンズを拭いた。
「いくつかのことが、わかったよ」彼は私に言った。「彼らの言語を少し解読することによって、今何が起きているのかについての情報を少々得ることができた」
「個人的には、他人の詮索は趣味じゃありませんがね」ジミーが無表情を装って言った。「とにかく、早く教えてくださいよ。さもないと、またあのプテラノ航空の空の旅に先生を招待しちゃいますよ」
ラフキンはニヤリと笑った。「ここは、言うなれば隔絶された谷なのだよ。この原住民たちはここを"イーオドン"と呼んでいる。主に農耕以前の段階の種族が 緩やかなグループを組んで生活しているようだ。ただ、ひとつだけ、畑を耕す人々が住む"石でできた村"があるそうだ。ここの友人たちよりも発達した文化の 持ち主だと言えよう」
「ところで、ここに集っている人々はほとんどがクーラック族のメンバーだそうだ。アイエラと呼ばれている若い女性は、その酋長の娘…つまり、実質的には王女だな」
私はアイエラに目を向けた。彼女はその前から私を見ていたようだ。突然に目が合って慌てた様子だったが、彼女は視線をそらさなかった。
ラフキンは説明を続けた。「シャムルーだけが、バラコという高地に住む部族の人間だそうだ。だが、彼の出身地はそこではない。数ヶ月前に、山の中を記憶を 失ってさまよっているところをバラコの人々に助けられたのだそうだ。君が言っていた"シャミノ"という名前だが、それが彼に何かを訴えるようだ。だが、本 人は何も思い出せないでいる。彼はキミとはどこかで知り合いだったような気がすると言っていたが、君とは一度も会ったことがないとも言っている」
私は苦笑した。「それではまるで意味が通りませんね」
「それは結局、彼を混乱させるだけだ。ところで、アイエラはここ数日間、いやな夢を見続けているそうだ。何か昆虫のような生物によって、大変に危険な目に 遭遇するという夢らしい。すると、強いが奇妙な戦士が現れて…いや、訂正させてもらおう。奇妙だが強い戦士が現れて、彼女を助けるのだそうだ。その戦士 は、キミと同じ顔をしているらしい」
「少なくともアイエラは彼女の部族の間では特別な戦士の位にあるらしい。自分で狩もする。彼女は昨日、ウラリ族という別の部族の戦士とその酋長…バカデカ・ダーデンと彼女は呼んでいたが…に襲われたそうだ。ダーデンは、彼女のことを自分の女だと決め込んでいるらしい」
「彼女はなんとかウラリ族の襲撃から逃れ、再び彼らに遭遇しないように遠回りして村まで帰ろうとしたそうだ。その帰り道で、あのスーパープテラノドンに襲 われたんだよ。いやあ、あれはすごかった。ケツァルコアトラスの数倍はあったね。完全な関節を備えていた。ただのグライダーではなかった」彼は夢見るよう に首を振った。
「そうそう、そのシャムルーという男だが、彼は彼女の部族の友人ということだった。彼女の部族の人間が、昨日から彼女を捜索していたそうだ」
彼は、ますます声をうわずらせた。
「彼らによると、あのスーパープテラノドンは氷山の一角だそうだよ。この谷に住む、もっと他の驚くべき爬虫類のことを話してくれたんだ。ぜひともこの目で見ておかなければな。一度に何種類もの古代生物の奇跡的生存を目の当たりにしているようだ」
ラフキンは急に真顔になった。
「さてと…、キミがどうしてシャムルーの顔を知っていると思ったのか、ここいらで本当のことを聞かせてもらえるかね?」
私はあたりを見回した。アイエラは、相変わらず好奇と驚きの目で私を熱心に観察している。シャムルーは無表情に見えたが、彼の目には苦悩が表れていた。ジミーは私と目を合わす暇もなく、私たちの会話を一言一句逃すまいと必死にノートをとっている。
私はため息をもらした。この話をマローンの前で話さなければならなくなったことを後悔した。だが、話すことにした。あらゆる事実を話すことで、ひとつの命が救われることがあるかもしれないと思ったからだ。私もそれで救われるかもしれない。
「ロード・ブリティッシュと名乗るさる高貴な人を何度か手助けしたと前に話しましたね。それは事実です。私はその人物がヨーロッパ人であり、その名前は偽名であると思わせるような話し方をしましたが、それは真実ではありません」
「ブリティッシュは、ある場所…ブリタニアと呼ばれる世界の人間です。それは我々の世界の写しのような別の世界だと、私は考えることにしています。彼の名 前や、いろいろな話を総合すると、彼は私たちの世界と何らかの関係を持っていることがわかります。しかし、彼の口からすべてを聞いたわけではないので、彼 自身については詳しいことは知りません」
「私はブリタニアを何回も訪れていますが、必ずムーンゲートと呼ばれる通路を通っていくことになっています。今日、研究室に現れたのも、ムーンゲートの一 種です。しかし、あれはまったく異質だった。あんなムーンゲートは見たことがない。なんであんな挙動をしたのか、どうして私たちをブリタニアではなく、こ の場所へ連れてきたのか、私にはわかりません」
「あのシャムルーに瓜ふたつのシャミノは、ブリタニアの私の友人なんです。ここでこんなふうに彼と会うとは、まったく奇妙な気持ちです。記憶を失って、シャミノをシャムルーだと言ったりして…」
シャムルーは、自分の名前、つまり、自分の名前ではない名前を聞くたびに、目をしばたいた。
「確かに、確証的な事実がいくつか認められる」ラフキンは渋々それを認めた。「だがそれは、本人以外には実証できないことばかりだ」
「それを実証することができたとしても、奇妙な話には変わりありません。いいですか、私は先生に信じてくれとは言っていません。ここで聞いたことは、すべ て忘れてしまったほうがいいかもしれません。先生が是非にとおっしゃるから、私は真実を話したまでです。あとで私をしかるべき施設に入れようとお考えな ら、その前に私に少しの時間をください」私は苦笑した。「もう二度と姿は現しませんから」
私はちらりとアイエラのほうを見た。たちまち彼女の強い視線に捕まってしまった。「あの…、先生。現地の人たちと話をなさったとき、私がアイエラの命を助けたことで、私が何か彼女に対する責任を負ってしまったとか、そんなようなことを、誰か話してませんでしたか」
ラフキンは笑ったが、私が彼に向き直ったときに、慌てて笑いを押し殺したように見えた。「それを恐れているのかね。それとも、望んでいるのかね。いや、答 えんでいい。からかっただけだ。いや、そのような責任を負わせる習慣は彼等にはないように思ったがな。彼女はもうしつこいくらいに我々に対する感謝の念を 表していたよ。中でも特にキミに対してな。それに、彼女はキミに対して特別な関心を抱いているようだ。簡単でいいから、彼らの言葉を習っておく必要がある んじゃないかな。彼女とふたりきりで話したいと思ったならな。彼女はそれを熱望しているんだがね」
私はうなずいた。「彼女に伝えて…」
私の言葉は、ジャングルの中から響いてきた鋭い音に遮られた。ふたりの戦士が立ち上がった。もうひとりが唇に手を当てて、おなじような音を発した。他の連中は互いに何やら囁き合っている。ラフキンが手早くアイエラに話を聞き、すぐにまた戻ってきた。
教授は報告した。「見張りのひとりが、動物が近づいていることを知らせてきた。"盾背"と彼らが呼んでいる生物らしいんだが、ぜひとも見ておきたい」
彼が立ち上がると、アイエラが彼に何かを伝えた。がっかりした表情で、彼は言った。「あれは草食動物で、火や人間には決して近づかないんだとさ」
「かわいそうな先生。でも、きっとサンタさんが先生の靴下に恐竜を突っ込んでくれますよ」ジミーがちゃかした。
ラフキンは歯を剥き、ジミーは声をあげて笑った。そのとき、ジャングルの中の原住民が叫んだ。
私たちは全員が飛び上がった。原住民たちは手に手にスピアや弓を取った。
火の明かりと闇との境界線の向こうから、巨大な牛の鼻息のような、フーッ、フーッという音が聞こえてきた。そして、幽霊牛が明かりの中に顔を出した。
"盾背"は、体長が長く、幅が広く、平たい感じの背中に突起が並んだ爬虫類だった。アメリカ南西部に棲むツノガエルに似ているが、馬鹿でかい。大型の高級車よりも大きいだろう。これは作り物ではない。特撮でもない。本当に生きて、私たちに向かって歩いてきている。
それが光の中に進むにつれ、その口からは何か植物のつるのような、ロープのようなものが出ているのが見てとれた。あれは…。
「手綱だ」ラフキンが声を殺して言った。
彼の言う通りだった。その背中には人影があった。NFLのディフェンスの前衛のように大きく肩幅の広い男だ。
アイエラが命令の言葉を発した。私には、その中の一語だけ聞き取れた。「ダーデン!」憎まれた求婚者、敵部族の酋長ダーデンだ。
ダーデンはアイエラに答えて叫んだ。腹の底から響くようなバスだ。それに続いて、無数の応答がジャングルから響いてきた。ジャングルの中に、ダーデンの戦士たちが待機していたのだ。彼らは機敏な動作で姿を現したかと思うと、酋長が乗った恐竜の前に隊列を整えた。
アイエラ側の戦士たちは、目に恐れを浮かべてうろたえていた。巨大な恐竜を自在に操ることができる男に対する恐怖だ。これだけ怯えてしまっては勝ち目はな い。私にはわかっていた。そこで私は、理性が本能に追いつくより早く、うろたえた戦士からスピアを奪い取り、ブリタニア式の雄叫びをあげながらクーラック 族の隊列を割って前に出た。
敵は簡単に勝利すると高を括っていたのだろう。クーラック族は恐竜とそれに乗った男に腰を抜かすはずだと考えていたに違いない。私は彼等が自分たちの誤り に気付く前に攻撃を開始した。最初に対決した戦士の攻撃は単純だった。私は彼の攻撃の方向をかわし、代わりに一撃をお見舞いしてやった。胸の真ん中に強烈 な突きを喰らって、彼は勢いよく地面に倒れた。
だが、このジャングルの民は反応が素早かった。私はたちまち、スピアを構えた険しい目つきの男たち数十人に取り囲まれてしまった。私は防衛に専念させられ た。突き出されたスピアをかわし、別のスピアをブロックし、戦士の膝の脇を思いっきり蹴りつけた。関節が砕ける音がして、戦士は苦痛の叫びをあげて地面に 倒れた。私は快感を感じた。
その頃になって、クーラック軍はようやく目を覚ました。彼らは矢の雨を浴びせかけ、ダーデンの軍勢を押し戻した。スピアを持った味方の戦士が私の両脇を固めるようにして隊列を組んだ。その間、弓矢を持った戦士たちが第2波の攻撃準備を整えた。
敵があの戦士たちだけなら、我々は完全に彼らをジャングルの中へ押し戻し、ズタズタに引き裂いていたことだろう。ところが、私がふたりの敵を倒し、味方の戦士が応援に駆けつけたとき、筋肉男ダーデンが恐竜の速度を速めたのだ。
恐竜は大股で地面を蹴る。ダーデンは手綱を引いて、その頭を私たちに向けさせた。巨大なトカゲが突進してくる。あと6メートル…3メートル…
4トンもあろうかという肉の塊の猛チャージを喰らえば、アイエラの戦士たちといえども隊列を保つことは難しい。私は彼らに隊列を二手に分けて恐竜を囲み、両脇から攻めるように指示しようと口を開いたが、言葉が出なかった。
私の視野の片隅にスピアが飛び出した。かわそうと試みたが、十分には果たせなかった。石の穂先が私のこめかみをかすった。それによって私の体は硬直し、よろめき、後退させられた。
私の目に見えたのは、恐竜がさらにスピードをあげ、クーラックの隊列を破り、戦士たちを追い散らし踏みつけて突進してくる姿だけだった。私の意識は朦朧と したままだった。足も動かない。私は、ダーデンが恐竜の首を私に向けるのをただ眺めるだけで何もできなかった。それは一歩ずつ近づいてくる。ついに恐竜の 頭が私の顔の上に差しかかった。冷酷な笑いを浮かべたダーデンの目が見えた。そして、彼のハンサムな顔が勝利の笑いに歪むのが見えた。
だが、予期したとどめの一撃を自分の目で見ることはできなかった。恐らく私は、恐竜に蹴飛ばされたのだろう。覚えているのは、私の体が後方に飛ばされて、またもや木の幹に激突し、根元に墜落したことだけだ。
そこで死んでもおかしくなかった。むしろ意識を失ったほうが、よっぽどましだった。体を動かすことも、話すことも、自分が呼吸をしているのかどうか確かめることすらもできないでいたにも拘わらず、私の目には目の前の光景が飛び込んできたのだ。
私が見たのはアイエラと恐竜に乗ったダーデンが並んでいるところだった。アイエラは弓を引き、真っ直ぐにダーデンの喉を狙っていた。これでヤツもおしまいだ、と私は確信したが、そうではなかった。
アイエラの背後からウラリの戦士がひとり忍び寄ってきた。彼はスピアの柄で彼女の頭を殴った。アイエラはその場に倒れ込み、矢はあらぬ方向に飛んでいって しまった。そこからダーデンの顔は見えなかったが、まだあの勝ち誇った笑いを浮かべていたことは確かだ。ひとりの戦士が気絶したアイエラの体をダーデンに 差し出したとき、一杯に歯を剥き出して、笑いは最高潮になっていたことだろう。
最後に見たものは、盾背とその高価な"荷物"が揺れながら夜の闇に消えていく光景だった。やがて私は闇に包まれ、深く暗いこん睡状態に陥っていった。


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