Ultima Martian Dreams マニュアル
TIME TRAVEL

Use of the Orb of the Moons by Dr. Johann Spector
December, 1895
『タイムトラベル −ムーンオーブを用いて  Dr.ジョアン・スペクター著 1895年12月』

・1895年12月

私の火星への旅行譚は、遥かな未来 ― 今から約100年後において始まった。
私はその時、イーオドンの谷について書かれた記事の執筆に深く関わっていた(いるだろう、と言うべきか?)。
この記事は、彼の地での私の偉業について書かれており、若きレポーターのジミー・マローンによって「サベージ・エンパイア」という別称を付けられている。
私が彼の地の人々の力と権威を伝達しようと奮闘していた時、自らをアバタールと名乗る冒険者から電報を受け取った。
「至急来てくれ」とのことだった。

彼の家に着くと、彼が私にコンタクトを取っていないことを知って驚いた。
これはミステリーだ!
我々が、この不可思議な電報について議論していると、奇妙な外見の女性が家に訪れて荷物を届けにきた。
我らが議論を止めて荷物の中身を調べることにすると、その女性はそっと出て行った。
彼女の最後の言葉は、我らが彼女の運命を握っている、という警告であった。
謎は深まるばかりである!

荷物の中身は、我々を少なからず啓発した。
中からは、コロラドの山の中にあるラボの位置を示した地図、古い写真、"ニコラ・テスラ"という名の書かれた手紙、そして私の著書『タイムトラベル − ムーンオーブを用いて』が入っていた。
この本は言うまでもなく、まさに私が今書いているものだ。
写真には、私とアバタールとニコラ・テスラとジグムンド・フロイド、そして数人の歴史上の人物とが写っていた!

アバタールも私も時を越えた旅行などした記憶はないが、この事を調査しないのは怠慢であるということで同意した。
つまり、ずっと昔に死んだ人間から荷物を受け取ることなど、そうそう起こるような出来事ではないということだ!
不思議な地図を頼りに、我らは長い間放置されていたラボを発見した。
地図は正確なようであった!
これに勇気付けられ、我々はムーンオーブを我々の8フィート手前に37度の角度で置く。
すると、タイムゲートが現れた。
このオーブ(かつて伝説のブリタニアの地での冒険で入手した)は、我々を遥かなる過去の、奇想天外な別次元の世界に連れて行ってくれるようである!

ゲートを通り抜けると、そこは1895年。
我々は他でもないニコラ・テスラによって出迎えられた。
歴史の本には、テスラのこのような行動についての記述はない。
彼は、天文学者パーシヴァル・ローウェルが、フロギストン(訳注・18世紀に仮想された元素)という爆発物質を発見し、それによって電車くらいのサイズの 弾丸を宇宙まで飛ばすことが可能になった事を教えてくれた。
この物質の力は、彼の言葉を借りれば、筆舌に尽くしがたいとのことだ。不幸なことに、この元素は時と共に失われたが。
ローウェルは多くのイベントにおいて宇宙船を建造するための後援者に不自由しなかった―
新聞社の社長として知られるウィリアム・ランドルフ・ハーストが、この話の権利と引き換えに基金を設立したのだ。

ローウェルの冒険や出来事の経路、我々が赤き惑星に到着した後の救助の手順の詳細は分からなかったが、決定指令は下された。
結局、人は自伝を書くために、こういった事をしてしまうのだろう(科学者や冒険者でさえもね)。
アバタールと私は無事に地球に戻ってきた、と言えば十分だろう。
我らが戻った日常は、私が書いた本をテスラ博士に渡す前である一方で、今から100年前にテスラ博士がこの本を我々に届けることを請け負うのであろう。

追記:
私はテスラに、この旅行記を読まないようにと嘆願しなくてはならない。
我らの時を越えた旅行記の詳細は、別の時代の別のフォーラムによって明らかにされる事ゆえ、私は今日までにこの壮麗なる冒険を共有した歴史的人物に対する 考えを記録しておく必要を感じた。
1895年を通しての伝記情報としてではなく、それ以降に続く年の出来事も記すつもりである。
この情報が19世紀人にかけられたベールを取り払うことができれば、全ての歴史は永遠に変わるであろう。

言うまでもなく、この過去の時代の我々の目的は、歴史を埋没させるのではなく、保護することであり、我らの現世で既に過ぎ去った全ての物事を確実に起こす ことである。
私は、取るに足らない事であっても、一時的な例外の結果について考察することに戸惑いを感じる。



・冒険の仲間達

おそらく、我々の冒険の最も魅力的な側面は、我々と共にした仲間であろう。
というのは、この宇宙旅行者の中には、注目すべき歴史上の人物が多くいるからだ。
私は、歴史家達に認識されている彼らの像と(少なくとも私の知っている歴史の限りで)、私が新鮮な感覚で知ることのできた彼らの像との、両方の描写を努力 するつもりである。



・救助任務

Nellie Bly ネリー・ブライ(1867-1922)

このジョーゼフ・ピューリツァーのニューヨーク・ワールド紙の調査好きなレポーターは、常に私を魅了してくれた。
彼女は、あの時代には限りなく少なかった、社会的制約から解放された現代的なキャリアウーマンであった。
女性がジャーナリズムの活動をすることが、ほとんど考えられなかった時代、ネリーは患者の虐待のレポートのためにニューヨークの精神病院に自身で入院をし たり、囚人の扱いについて書くために刑務所へ行ったり、女性が差別されていた雇用不正についての調査をした。
しかし、彼女の名声が最も高まったのは、1889年に世界一周の旅に出て、ジュール・ヴェルヌの小説『八十日間世界一周』に書かれていた80日という"記 録"を打ち破ったことである(彼女は72日と6時間11分0秒で達成した)。
ミス・ブライは、彼女の雇用主に救助遠征の冒険記録をレポートするために火星へ旅立った(ちなみに、この雇用主は、ライバルのウィリアム・ランドルフ・ ハーストよりも上に立つために、救助遠征の基金を設立した)。
ネリーは機知に富み、勇敢で、強い意志を持ち、私が望むような全てを備えた、最も特筆すべき人物である。



Dr. C.L. Blood (Unknown) ドクター・C・L・ブラッド

ブラッド博士は、私にとって、いささか謎の人物であった。
テスラやフロイトやその他の救助隊の者は、彼や彼の業績に馴染みが深いようだが、私は、この1895年に来る以前には、全く聞いたことがなかった。
見たところ、ブラッド博士は1870年代の医療機関から蔑視されていた。
彼は自分が発明した『酸化空気』の効力が治療に役立つ、ということを信望していたからである。
だが、『酸化空気』治療を受けた後に病気から回復した、という数千もの主張があったため、一般大衆のブラッドに対する蔑視は少なかった。
彼の明暗交互の過去と、医学会からの評価の欠落にもかかわらず、ブラッドは救助遠征隊の医療要求によく応え、有能な医者であることを証明して見せた。



Sigmund Freud ジークムント・フロイト(1856-1939)
私は、1893年の調査隊のメンバーによって、『ドリームマシーン』とあだ名された火星の遺物を知らされるまで、フロイト博士が救助隊の中で、どのような 役割をするものなのかと疑問に思っていた。
フロイトは現代心理学の父であり、精神医学の分野に革命を起こした人物である。
彼のアイデアである夢診断、自由連想、神経症と性の因果は、患者への治療を催眠や電気ショック療法などに依存していた精神医学の分野において、革命的で あった。
ドリームマシーンに関する最初の報告が地球に届いてから間もなく、火星からの通信が途絶えた。
フロイトの専門知識は、この火星の遺物を使用した者達が見る、奇怪な光景を解明することになる。



Nikola Tesla ニコラ・テスラ (1856-1943)
報われぬ天才であり、並ぶ者のないほどに風変わりであるテスラは、19世紀後半から20世紀初頭にかけての、最も革新的な電気技師であり発明家の1人で あった。
彼の最も偉大な業績は、AC誘導モーターの発明である。これは、日常の生活の中でのDC(直流電流)をAC(交流電流)に置換するものである。
この有名な技術革新によるところにもかかわらず、通常ではテスラは電力をラジオ波のように空気に伝わらせることに失敗したことで記憶されている。
彼の技術的な専門知識は、数多く存在する火星の機械を理解したり、修理したりするために、計り知れない価値がある。
そして、もちろん、我々をこの地、この時代に招いたのは、彼からの時を超えたメッセージなのである。



・1893年の調査遠征

この奇妙な調査遠征のメンバーは、彼らが救助を望むに劣らず魅惑的である。
世界コロンビア万国博覧会から発車したローウェルの船に乗り込んだのは、紛れもなくヴィクトリア時代を代表する人々であった。
時は1893年、全世界がシカゴの博覧会に注目した。
この豪華絢爛な殿堂で、人類の偉大なる成果が展示されたのだ。
世界の国々は、彼らの国の生活様式や業績を見せ付けるため使者を送った。
おそらく、最も注目を浴びたアトラクションは製造業と建築学あたりであった。
観客は、パーシヴァル・ローウェルの、人類を火星へと送り届ける宇宙砲に喝采を送った。
乗組員が集められ、発射台がセットされた。
発射予定日の前日、ローウェルは、この旅行のために公正な乗客と職員を選抜した。
だが突然、大砲は発射された。
何らかの出来事によって爆発が起こり、弾薬が破壊されて舷側が全て壊された。
この出来事は、とてつもない悪戯だと考える者もある。
だが実際、弾丸ロケットは多くのヴィクトリア時代の要人達を乗せて、火星に向かった。
私は、これらの人々が重大な寄与をした、科学、芸術、そして政治の発展がない世界は想像できない。
この失踪者のリストを読めば、私の意図するところは間違いなく理解してもらえるだろう。


Sarah Bernhardt サラ・ベルナール (1844-1923)

このフランス女優は、この時代で最も高名な俳優であった。
彼女の世界ツアーは、地球上どこへ行っても売り切れた。
彼女が出演した『クイーン・エリザベス(1912年)』は、初期の長編映画の1つであり、この未熟だった形式に大きな信頼をもたらした。
彼女の演劇のバックグラウンドは、我々の火星での冒険において驚くほど有用だということが証明された。



William F. "Buffalo Bill" Cody ウィリアム・F・"バッファロービル"コーディ (1846-1917)

ウェスタンスカウトであり、ハンターである。
人々の言い伝えでは、彼は片手で4000頭以上のバッファローを殺したとされている、当時の英雄的な人物である。
西部にて彼はショービジネスに転向し、カウボーイの一座やインディオを率いたワイルド・ウェスト・ショーは目覚しい成功を収めた。
彼は、西部仲間のカラミティ・ジェーンを連れて火星に行った。



Calamity Jane カラミティ・ジェーン(1852-1903)
ドレスを纏わずに"男性的な"服装をしていたフロンティアの女性である。
カラミティ・ジェーン(マーサ・ジェーン・バーク)は、軍のスカウト、早馬便の騎手、ジョージ・アームストロング・カスターの助手を務めた。
カラミティーは、売春婦であり、ワイルド・ビル・ハイコックの愛人であったと一般的に言われているが、彼女は、このことについて私と論ずることを拒否し た。
火星にて、彼女は火星都市に即座に飽きてしまい、バッファロー・ビルを連れて荒野を放浪した。
彼女達は共に、酸素やサバイバル道具などを、都市の住民や惑星探検者達に供給した。



Andrew Carnegie アンドリュー・カーネギー (1835-1919)

鉄道王であり製鉄の巨頭であり、富裕者は不要な富を求める者に分け与える義務がある、という思想の持主である。
彼は、その晩年に、数多くの慈善的・教育的な機関や基金を設立した。
私は、カーネギーの鋼鉄や製造業に関する直接的な知識に、大変驚かされた。
カーネギーは、スペースキャノンを、帰りのフライトが可能なように建造しなかったことで非難された。
彼と同じく自分の会社のナットやボルトにも詳しいような重役が、もっと現代にもいればと思う。



George Washington Carver ジョージ・ワシントン・カーヴァー (1860-1943)

奴隷の両親の間に生まれたカーヴァーは、その生涯を植物の研究に捧げた。
1896年、彼はアラバマ州タスキギーで農業を研究する、黒人普通工業高校の校長となる。
彼は長期作と作物のローテーションの先進者となり、ピーナッツとスイートポテトから400種類以上もの合成物を作った(これには、染料、ミルク、リノリウ ム、接着剤、石鹸、粉末、油、顔料、インク、バター、コーヒー、そして合成ゴムなどがある)。
トーマス・エジソンは、かつてカーヴァーを10万ドルの給料で彼のニュー・ジャージーの研究室に雇おうとした。
しかし、カーヴァーは、自分はタスキギーで必要されていると言ってこれを断った。
まことに注目すべき人物である。



Marie Curie マリア・キュリー (1867-1934)

このポーランド生まれのフランス人物理学者は、放射性物質のラジウムとポロニウムを発見した。
1903年、彼女はノーベル物理学賞を受賞し、1911年には同化学賞を受賞した。
彼女は白血病で死亡するが、これは疑いなく放射性物質の研究によるものだろう。
ローウェル達に発見された火星のアーティファクトの中には、彼女の放射性物質の専門技術によって動いた物もあった。



Wyatt Earp ワイアット・アープ (1848-1929)

アープ、この真のアメリカの英雄は、フロンティアの保安官と記されている。
ウィチタ州、カンサス州の警官、そして後年はドッジ・シティーの司令官補佐を勤めた。
アリゾナのトンブストンに移り、ワイアットと彼の兄弟のバージル、モルガン、ジェームス、ドク・ホリデイは、クラントンとマックラウリーの兄弟と対立した (彼らは牛飼いであったが、レスリングで稼いでいた)。
対立はエスカレートし、1881年10月26日には決闘となった。
アープとドク・ホリデイは、ビリーとフランク・クラントンと、トム・マックラウリーを、世に言うOK牧場の銃撃戦にて撃ち殺した。
アープは、法廷で無罪となる。
私のミスター・アープとの接点は、実に限られている(彼についての知識からすると、そのことは不満に思うべきことではない)。



Thomas Edison トーマス・エジソン (1847-1931)

エジソンは、アメリカで最も多くの発明をした発明家であり、一番最初の興行科学者であり、その生涯で1000以上もの特許を取った。
彼は一般には、電灯、蓄音機、撮影機のような歴史的装置を発明した人物として知られている。
私は、エジソンとテスラ博士との間の敵対心に、大変驚かされた。
よく思われていた、仲良き競争相手ではなかったのだ。
エジソンは、テスラの交流電流によって、エジソンの主導していた直流電流が終焉したのを見ているのではないだろうか。
人は、この2人の天才が共に協力したら、どれほどの事が達成されたのかと想像するであろう。
何にせよ、エジソンの専門技術は、我々が数々の火星の機械を理解したり修理するのに、かけがえのないものとなった。



Emma Goldman  エマ・ゴールドマン (1869-1940)

アナーキストであり、避妊の支持者であるエマ・ゴールドマンは、リトアニアで生まれてロシアで育った。
17歳の時、アメリカに移住し、そこで彼女はすぐにアナーキストと関わりを持った。暴動誘発などで何度か逮捕され、アメリカ合衆国が第一次世界大戦の準備 をするのを妨げたとして有罪となり、投獄された。
1919年に国外追放され、彼女はロシアへ行くが、ソヴィエトに賛同しなかったため、イングランド、後にカナダへ移った。
晩年、スペイン内戦で積極的な役割を果たす。
彼女の火星での役割は謎に包まれている。



William Randolph Hearst ウィリアム・ランドルフ・ハースト (1863-1951)

ハーストは、アメリカの新聞発行者、そして"イエロージャーナリズム"の先駆者として知られている。
彼は、不運なる1893年の火星探検隊のスポンサーであった。
ハーストは、安っぽく、大々的で、刺激的な記事を発行し、従来の新聞がやらなかったようなやり方で大衆にアピールした。
彼と、彼のライバルであるジョセフ・ピューリツァーは、大衆の思想と小銭を集めるのに競い合った。
20世紀末では、おそらく、カリフォルニアのサン・シメオンにある彼の奇怪な自宅が最も知られているであろう。
サン・シメオンについて知っている人には驚くことではないが、ハーストは火星滞在中に、この赤き星のアーティファクト(ガラクタと言った方がよいだろう) のコレクターとなってしまった。



Nikolai Lenin ニコライ・レーニン (1870-1924)

レーニンは、ウラディミール・イリーチ・ウラヤノフの生まれで、彼の時代で最も大きな影響を与えた共産主義者である。
ロシア革命、そしてボルシェヴィキ党の設立者であり、大学生であった1889年時に、カール・マルクスの教えを最初に受けている。
最初のロシア革命が失敗に終わった年の2年後、1907年にレーニンは国を離れたが、彼は海外から祖国へマルクス主義を導入するための闘争を続けた。
1917年、彼は祖国に戻って革命を成功に導き、彼の主導による新たなるソヴィエト政府が設立された。
彼は、1924年に死去するまでソヴィエト社会主義共和国連邦を主導した。
社会の構成員全員が財産の所有権を共有して富が均等に分配される、というレーニンの夢は、火星において奇妙な形で現れた。



Percival Lowell パーシヴァル・ローウェル (1855-1916)

アメリカの天文学者であり、1983年の火星探検隊のリーダーであったローウェルは、アメリカにおける古くからの富裕階級の家で生まれた。
ハーバード大学を卒業した後、彼は紡績会社を経営して家族を養う。
一時は、外交官として極東に当たった。
そして、火星の運河についての論文を学んだ後、彼は生涯の研究対象を天文学へと転じた。
その相続した財産を用いて、アリゾナに火星観察に特化した観測所を建設する。
彼は火星に184もの運河を観測し、それらの規則性から、決して自然に発生した現象ではないものであると判断し、知的生命体が存在していると考えた。
運河の両側の暗い区画は、明らかに植物であり、水の近くで成長して季節と共に変化している。
そして運河は、63のオアシスに向かって終結しており、120〜150マイルの範囲で水の集積と搬出をしている拠点であると仮定した。
後年、彼は太陽系における9つ目の惑星の存在を予言した。
ローウェルは冥王星を見ることはなかったが、彼の先進的な研究は、冥王星を発見することに大いに寄与した。



Georges Melies ジョルジュ・メリエス (1861-1938)

フランスの手品師であり、映画監督であり、俳優でもあるメリエスは、初期の映画制作で最も革新的で冒険的な人物であるとして、世界的な名声を得て いる。
彼の1902年の映画、「月面旅行」は、我々の火星での冒険と、いくつかの点で似通っている。
1893〜1895年の出来事にインスピレーションを受けているのではないかと思う人もいるだろう。
メリエスの写真分野における技術は、火星において計り知れない価値があった。



Robert E. Peary ロバート・E・ピアリー (1856-1920)

アメリカの探検家・ピアリーは、北極点の到達でよく知られている。
彼は1881年にアメリカ海軍に入隊し、最初の探検であるグリーンランド内部には1886年、そして北極点には1909年に到達した。
赤い惑星の冒険後すぐに、ピアリーは北極圏への探検に向かった。
そこでの彼の発見は、火星での出来事がターニングポイントとなった。



Grigori Yefimovich Rasputin グリゴリー・エフィモヴィチ・ラスプーチン (1871-1916)

火星冒険の当時、ロシアの『怪僧』ラスプーチンは、彷徨える謎の聖人であったが、その足どりは世界に残っている。
彼は、特に女性に対して、神秘的なほどの口説き能力を持っていたといわれている。
ニコライ2世の妻、アレクサンドラは彼の術下にあり、ラスプーチンは彼女を通して間接的にツァーに影響力を持っていた。
ロシア革命を引き起こす原因となったとしばしば言われており、彼は最終的には保守勢力によって暗殺された。
彼の処刑の話は奇妙なものである。
彼は毒を飲まされ、突き刺され、撃たれ、凍った川に穴を開けて投げ込まれて溺死した。
火星における出来事の中で、彼の霊能力についての逸話は、より恐ろしく、意味ありげなものとして映った。
彼には、現代人が信じている逸話以上の真実が隠されてそうである。



Theodore Roosevelt セオドア・ルーズヴェルト (1858-1919)

テディ・ルーズヴェルト、もしくはT.R.として知られている。
ニューヨーク州議会に務め、2年間ダコタ地域で牧場主として過し、ニューヨーク市警の部長となり、海軍の秘書補佐を務め、ロウ・ライダーの騎兵隊を組織し て米西戦争を戦い、そしてニューヨーク州知事を務めた。
1900年、彼はウィリアム・マッキンレーの副大統領であったが、マッキンレーが暗殺者の銃弾の倒れると、大統領に昇格し、1901年から1909年まで 在任した。
後の犯罪科学の発展に繋がる彼の警察での経験と技術は、火星での冒険において計り知れない価値があった。



Louis Comfort Tiffany ルイス・カムフォート・ティファニー (1848-1933)

かの有名な宝石商、チャールズ・L・ティファニーの息子であるルイス・ティファニーは、油画、水彩画の画家として始まるが、彼の真価は、ティファ ニー・グラスと呼ばれる虹色のステンドグラスの装飾品のデザインに見ることができる。
彼はまた、インテリアデザイナーとして広く活動し、アメリカ合衆国デザイン協会のリーダー格の1人であった。
彼の著名なインテリアは、ホワイトハウスやサミュエル・クレメンスの家に見ることができる。
(マーク・トウェインも参照)



Mark Twain マーク・トウェイン (1835-1910)

アメリカの作家、サミュエル・ラングホーン・クレメンスのペンネームである。
印刷工の見習い、船の水先人、ジャーナリストを経た後、クレメンスはフィクション作家に転向する。
マーク・トウェインの名の下、「トム・ソーヤーの冒険(1876年)」、「王子と乞食(1882年)」、「ハックルベリーフィン(1884年)」、「アー サー王宮廷のコネチカット・ヤンキー(1889年)」などの不朽の名作を書き綴った。



H.G. Wells H・G・ウェルズ (1866-1946)

イギリスの作家として知られ、その作品には、「タイムマシン(1895年)」、「宇宙戦争(1898年)」といった影響力の大きいサイエンスフィ クションも含まれる。
後者は、火星での体験にインスパイアされたのだろう。
彼はまた、地球の誕生から現在までの歴史を網羅した「世界史大系」という有名なノンフィクションも執筆した。


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